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小河内ダムの紹介
小河内ダムの概要
小河内ダムは、東京都奥多摩町(都心から約65km)にあって、標高530mに位置しています。多摩川上流域を水源とする集水域は、東京都奥多摩町、山梨県丹波山村、小菅村及び甲州市の4市町村にまたがり、面積は約263km²(羽村堰上流流域面積の54%)になります。
貯えられた水は、ダム直下の多摩川第1発電所で発電に使用後、多摩川に放流され、小作取水堰、(下流約34km)と羽村取水堰(下流約36km)で水道原水として取水されます。原水は、自然流下により村山・山口貯水池、玉川上水路などを経て、東村山・境の各浄水場へ、導水ポンプにより小作浄水場へ送られます。
また、東村山浄水場から原水連絡管により朝霞・三園の各浄水場へも送ることができます。
令和2年度から、国の方針に基づき洪水対策に協力していくことになりました。詳しくはこちら
ダムの大きさ
![]() ダムの大きさが実感できる谷側 |
位置:東京都西多摩郡奥多摩町原5番地 標高:530m(堤頂の道路部) 型式:非越流型直線重力式コンクリートダム 高さ:149m 長さ:353m コンクリートの体積:1,676千m³ 流域面積:262.9km² 有効水深:101.5m 満水面積:4.25km² 満水周長:45.37km 有効貯水量:185,400千m³ |
![]() ダム堤体谷側 |
![]() ダム堤体湖面側 |
クリックすると拡大します![]() ダム断面図 |
小河内貯水池には、ダム上流域に降る雨や雪(年間約1,600mm)が丹波川、小菅川などに流れ込んで集まります。集水域面積は約263km²(都内区部面積の約40%)の広がりをもっておりその内の約60%が東京都の水源林となっています。
小河内ダムの完成当時、東京の水源は主に多摩川水系に依存していましたが、現在は都の水源の約20%となっています。 しかし、小河内ダムは東京都の独自水源として、利根川水系の渇水時や事故時には放流量を増やすなど、住民の安定給水の確保に重要な役割を果たしています。
なお、小河内ダムは、建設から50年以上が経過していますが、耐震性調査を行った結果、想定される最大級の強さの地震に対しても安全であることを確認しています。
小河内ダム展望塔
「奥多摩水と緑のふれあい館」からダム管理事務所前を経て徒歩500mの場所にあります。
展望塔の2階には、ダムのジオラマや小河内ダムの歴史を紹介したパネルなどを展示してあり、3階はダムを一望できる展望室となっています。
東側の窓からは、ダム下から100m以上のスリルある眺めが、西側の窓からは広がる貯水池、奥多摩の自然などが一望できる展望塔です。
さらに、床には流域全体のイラストマップが描かれています。ぜひご来館ください。
展望塔からの眺め

ダムの大きさが実感できる谷側

ダム湖面が一望できる山側
展望塔内のご案内
- 開館時間:
- 午前10時から午後4時まで (ただし、7月20日から8月31日は午後5時まで)
- 休館日:
- 年末年始(12月28日から1月4日)
- 入館料:
- 無料
- 交通のご案内:
- JR青梅線「奥多摩」駅前から「奥多摩湖」「鴨沢西」「丹波」「小菅の湯」「峰谷」「留浦」行のいずれかのバス(20分)、「奥多摩湖」バス停下車
ダムの歴史
小河内ダム建設前の写真
中央部の白い線は、ダムが建設される場所を示す。
小河内ダムは、昭和13年11月12日に起工式を挙行しました。
ダムの工事にあたり、物資運搬用の専用道路、仮排水路の築造及びダム基礎岩盤掘削などの工事を進め、その後、太平洋戦争へと発展した戦局の影響を受け、工事は予定より遅延しましたが、昭和18年春にはダムコンクリートを打ち込みできる状態となりました。しかし、ますます激化する戦局のため、昭和18年10月5日には、工事を中止することとなりました。



一時中止していた工事は、昭和23年9月から工事が再開されました。ダムコンクリートの打ち込みは、これ以後昼夜の別なく実施されました。
このダムコンクリートの打ち込みは、昭和32年7月まで続けられ、総量1,675,680m³のコンクリートが打ち込まれました。

ダムの最後のコンクリート打ち込み

現在のダム堤頂部
こうして、昭和32年11月26日、945世帯の移転と工事における87名の尊い犠牲のもと、19年余りの歳月と約150億円の総工費をもって完成しました。現在では、住民の安定給水の確保に重要な役割を果たしています。
案内図
小河内ダム余水吐放流時のサイレンについてはこちら
問い合わせ先
小河内貯水池管理事務所
- 電話: 0428-86-2211